Ⅰ

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周りからは、ひっきりなしに他の客の声が聞こえているはずなのに。 文雄の言葉に凍りついた恵美の耳には、急にボリュームを絞ったかのように何も聞こえなくなってしまっていた。 「変な冗談……」 「冗談なんかじゃないって。本当に、恵美がさっき、そう言ったんだよ? さすがに俺でも、そんな冗談は言えないって。 ねえ、恵美?」 和成の言葉を遮って笑い声を上げる文雄。 和成よりも、よほど近い位置に恵美を置いておこうとでもするように、大胆にも彼女の肩に腕をまわす。 が、恵美はビクリと肩を震わせて、それを押しのけたし、そのすぐ後に和成も文雄の腕を強くつかんで阻止した。 「触るな」 「……うわあ、怖っ」 文雄がケラケラと笑う。 しかし急に声を潜めた彼の声は、普段の彼からは想像できぬほどに冷たいものだった。 「……彼氏面すんなよな。ジュリに手、出しといて」
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