Ⅰ

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「ちょっ」 身をよじるジュリに、呆気に取られる恵美と和成。 周囲の客も、驚いたようにチラチラとこちらに目をやっては、苦笑いを浮かべながら視線を逸らしているのが分かる。 そんな中でただ1人、文雄だけが得意気に瞳を輝かせて、見せ付けるような長い口付けを終えると、ようやく唇を離して 「こいつは、俺のだから」 他の誰にでもなく、和成だけを睨みながら言い放った。 「……知ってるよ」 和成の返事は弱々しい笑いに包まれてさえいた。 が、その声の奥深くに、どこか寂しげな響きを感じた気がして、恵美は急いで和成を見上げた。 しかし、目が合った彼は優しく微笑むばかりで。 どうかしたかと問いかけるように、ちょっぴり眉を上げただけだった。 勘違いか、と安堵の気持ちが浮かんでもいいはずなのに。 どうしても拭いきれない不安が体を巡る。 けれども、恵美は、いつまでもそのことばかりを考えてはいられなかった。 「……なんなのよ」 ジュリの押し殺したような呟きが聞こえたかと思うと、恵美がハッとして顔を上げる前に、もうそれは叫び声へと変わってしまっていたのだから。 「なんなの!?いつもいつも、あんたは。 『俺の』とか、『俺のじゃない』とか……そんなに勝手なことばっかり言って! 私のこと、なんだと思ってんのよ!」
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