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それが、この時代の流儀だった。
俺は猛勉強を重ね、親に土下座までして大学に入れてもらった。東京の、それなりに一流と言われるその大学は、激しい闘争の最中にあることで今はその名が知られていた。大学に入り、俺はアルバイトの片手間にその闘争の中に身を投じることを覚えた。
それが、この時代の流儀だった。
田舎の高校を出た俺は政治について全く無知だった。頑固をそのまま人間にしたらこんな奴が仕上がるのかと言う風な親父と、それに頭の上がらない古い人間だったお袋、ただただお転婆で明日の事すらまともに考えている風ではなかった妹の三人に囲まれ、高校までの俺はまるで政治とは遠いところにいた。たまに高校の旧友と交わす、今日の政治状況であるとか、誰が首相についたとか、安保がどうとかという話でしか、政治を耳にしなかった。
そんな俺が、大学に入って一丁前に新左翼などと謳うサークルに入り、バカな友人たちと飲み明かしては、明日の日本をどうするか、革命はいつするべきかなどという、気宇壮大な話に花を咲かせていた。
それが、この時代の流儀だった。
俺が住んだのは、大学の近くの下宿屋だった。戦争前からある木造二階建てで、規律に五月蝿いおかみさんが取り仕切っていた。家賃はべらぼうに安かったが、普請もべらぼうに安い。冬はどこから吹いて来るのか隙間風がびゅうびゅうと泣く。
四畳半の部屋に置かれたのは、小さな机と買い込んできたマルクスやらエンゲルスやらの本、それに大枚はたいて買ったギター。腕はからきし駄目だったが、それでも友人と、時世を皮肉ったり批判したりする歌詞を作っては、下手くそなメロディーを乗せて歌っていた。
それが、この時代の流儀だった。
大学に入って初めて、俺は恋人と言う物を持った。彼女も地方の出身で、大学に来るまで男と言う物を知らないような、純朴な女であった。俺は彼女を度々自分の部屋に招いては、互いに裸で抱き合い、自分とは何なのかを問うのを繰り返していた。
彼女は俺に、下手だからとはにかみながら手料理を作ってくれもしたが、彼女の雰囲気そのままの純朴な味は、俺に涙を流させることも屡だった。なぜ俺が、女の前で泣かなければならなかったのか、それは俺自身にも、まだ答えが見いだせていない。
それが、この時代の流儀だった。
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