蓋される川

3/14
前へ
/14ページ
次へ
デモにも参加した。サークルの連中でプラカードを作り、ヘルメットをかぶって一丁前に街路を練り歩いた。街路は物凄い熱気に包まれていて、狂ったような目をして安保反対を叫ぶ男に、戦後日本の責任をヒステリーじみた声で糾弾する女、それらに混じって、聞きかじった政治単語を喉を嗄らして叫び、最後はマルクス万歳、レーニン万歳と〆た。サークルの仲間とどっとその場に倒れて、日本の共産主義は明日にでも成るのだと高笑いした。  それが、この時代の流儀だった。  ある日曜日だった。サークルの連中と参加したデモを終えて、俺は早々にその場を後にした。額に汗が伝い、言い表せない充実感に心酔しながら、俺はふらりと繁華街の方へと足を向けていた。  別に女を引っ掛ける趣味はない。そういうのは軟派のすることだ。既に日本には赤線だの青線だのはなくなったはずだが、それでもこの街にはまだ警察の目を逃れてそういう店が幾つかあるらしく、毒々しく着飾ったポン引きの女どもが、道行く男どもに声をかけている。俺はああ、ここに入ったのは失敗だったと舌打ちをした。さっきまでの充足感が、急速に萎えていくのが自分でもはっきりと感ぜられたのだ。俺は足早にそこを行き過ぎようとして、ふと大きな広場の前に出た。  そこは広場に見えて、池だった。こんな都心の一等地、それも繁華街のまん真ん中に、我ここにありと言わんばかりのふてぶてしい顔をして、池があった。池の中には小さな島があって、祠があるらしく真っ赤な太鼓橋がそこへ架けられている。池に近づくと、ふっと涼しい風が顔を撫でた。こんな感覚は田舎に居た頃以来だ。  思わずその水面に駆け寄った。誰か心のない奴が投げ入れたのだろう、煙草の吸い殻や紙くずのゴミが池の端に浮いているが、それを乗せている水そのものはどこまでも透明だ。きっと湧水に違いない、と俺は直感した。コンクリートで固められた都会の真ん中に、こんこんと清水の湧く池があるという事実は、俺を少なからざる衝撃へと突き動かした。間を置かず、この水は果たしてどこへ流れていくのだろうかと、水の流れを追ってみたいと言う衝動に駆られた。これだけの池の水なら、この場で蒸発するか地面に吸い込まれるかなどということは、無いはずなのだ。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加