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川はそのまま、住宅街の中をくねりながら進んでいく。途中でバスも通る大きな通りを跨ぐために、俺は迂回を強いられたが、迂回した先にもきちんと川の流れはあった。この通りのバスはよくデモに行くときに使っていたはずなのだが、こんな場所に川が流れていることは、俺自身も全く気付いていなかった。何となく、得をした気分だ。さらに川は、その先も家々の間を縫ってゆく。川に沿ってつけられた細い道を、俺はどんどんと進んでいった。
家々に紛れて、暖簾を出す店があった。店そのものはきっと珍しくも何ともないのだが、川に面している側に店を出しているのはあまりなく、突然の登場に俺は面食らった。だがその暖簾をよくよく見ると、これが食事処や居酒屋の類ではない。それは鮮やかな藍色で彩られていて、白抜きの文字が「染物」と誇らしげに掲げてある。ここは染物屋なのだ。黒塀の隙間から向こうを覗くと、なるほど確かにこの暖簾と同じ藍色に染められた布が、軒先にぶら下がって干されている。美しい色だ。これがどんな風に出てくるのだろう。
そう思っていると、ふっと中から人が現れた。短い髪は白髪だらけで、もう年の程は六十をとうに越えているに違いない男だ。男は木でできた大きな箱に、何枚もの藍色の布を持っている。たまらず、俺は声をかけた。
「それは何をしているのですか」
声をかけられて、男は怪訝な顔をした。そしてぶっきらぼうに
「布を染めるんだよ」
と答えた。
「この川の水でですか」
「そうさ。それ以外に何がある」
言いながら、男は川の脇に設えられた、小さなコンクリートの階段を下りてゆく。そして川面に近づくと、一枚一枚丁寧にそれを水につけて洗い始めた。俺は感動を覚えた。こんな都会の真ん中を、人知れず流れている川が、まだ人の役に立っているのだ。こうして染められた布は、あの暖簾であったり、軒先に吊るされた布のように、深い深い藍色になるのだ。なんと美しいことだろう。
俺は男の背中に声をかけてから、川の流れを辿ることにした。心からの言葉だった。
「長く続くといいですね」
男は黙ったままだった。
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