冬桜《パソコンver》

15/227
前へ
/227ページ
次へ
 僕はそう言って茶化した。副店長は笑って、じゃあ送ってもらうね、事務局に行き損ねたら私のせいになっちゃうからね、と言ってくれた。  薄手のコートではまだ寒いのか、副店長はポケットに手を入れて歩いている。明るい月に照らされた副店長は綺麗だった。はかなげ、と言ったら縁起が悪いけれど、どこかこう、壊れてしまいそうだった。店ではしっかり者の彼女はプライベートでは普通の女の子なのかもしれない。  途中、副店長が止まった。足元には桜の花びらが絨毯のように敷き詰められている。水路の脇には桜並木。その散り落ちた花びらだった。綺麗に敷かれたそれを踏みつけたくなかったのだと思う。でもそこを通らないと自宅に戻れないのか、副店長は再び足を動かした。  しばらくしてアパートの前に着く。きっとここが彼女の自宅。 「あ、ここだから」  あっけなく告げられた言葉で僕の初デートは終わりだと宣告されたことになる。 「ご馳走さまでした。かえって申し訳ありませんでした」  僕は軽く頭を下げた。再び頭を上げて彼女を見ると、心配そうに僕を見上げてた。あの寂しげでそれでいて悲しげで。そして困ったような……。僕は副店長を困らせることを言っただろうかと自問する。店では見たことのない表情。今日の副店長はやっぱり変だ。何かが違う。 「またファミレスに戻るの?」  僕はポケットから携帯を取り出して時間を見た。わざわざファミレスに戻るほどの時間はなかった。 「始発まであと1時間なので、駅で時間を潰します」  さっきまで僕を見上げていた副店長が急に俯いた。しばらく黙っている。遠くでクラクションを鳴らす音が聞こえる。風の音がする。上はパーカーしか着てない僕は木枯らしのような冷たい夜風に身を縮めた。すると呟くように彼女が言葉を発した。 「……始発まで休む?。駅じゃ寒いでしょ? 部屋も2部屋あるし、眠るなら客用布団もあるから」  副店長……? 「……ね?」 . 5  彼女はそう言うと僕の返事も聞かずに外付けの階段を上り始めた。僕はどうしていいのか分からず、とりあえず副店長の後ろに付いて階段を上った。ドアの前で立ち止まった彼女はコートのポケットから鍵を取り出し、ノブに差し込む。くるりと手首を回し開錠するとドアを開けた。
/227ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1543人が本棚に入れています
本棚に追加