冬桜《パソコンver》

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 副店長は自分のことを引き合いにだした。ちょっと卑怯な手段だった。そんなこと言われたら、うんって言うしかないじゃいか……。ずるい。 「わ……」 「わ?」  僕は、うつ向いていた顔を上げた。 「……分かりましたっ!」 と、言って僕は席を立って休憩室を出た。  さっそく翌週から新人の女の子が入ってきた。ユニフォームに着替えた新人が副店長と共にカウンターにやってきた。副店長は彼女を紹介すると客席の片隅に立って僕の様子を伺っていた。僕は副店長に教えてもらったように、新人に教えた。横に並んで布巾を持たせてグラスを磨かせる。持ち方が違うと彼女の手に触れて直す。会計の仕方を教える。遠巻きに見てる副店長はなんだか怖い顔をしていた。僕のトレーニングにダメ出しをするかのようだった。  それから副店長は毎日、僕に新人を預けて接客を手伝っていた。もちろん、僕のトレーニングを伺いながらだけど、表情は固かった。僕のやり方が下手だからとか、リーダー職になる僕に対して厳しくしてるのかもしれないって思った。ちょっと距離を感じる。前みたいにそばで笑っていて欲しかったのに。  副店長は僕に精算業務や施錠の仕方を教えて、やがて遅番から完全に抜けた。僕が21時に仕事に入るとレジの鍵を僕に渡し、引き継ぎをして客席から消える。毎日、僕の手の平に鍵を落とす副店長の白い指先を見ては、握りしめたい衝動に駆られた。  バイトに来ると副店長が立てたスケジュール表を眺める。毎日僕と入れ違いに彼女は21時で上がるライン。僕は時給とシフトと引き換えに、副店長と仕事が出来なくなった。彼女は店長からスケジュールの組み方や売上計画の立て方を教えてもらってる ようだった。店長情報に寄ると、副店長は覚えがいいらしく、早ければ来春にも店長に昇格するんじゃないか?と話していた。そしたら、副店長は他の店舗に異動になる。会えなくなる。顔も見れなくなる。声も聞けなくなる。レジの鍵をもらうときに指先を見ることも触れることもなくなる。  いっそのこと告白してしまおうかとも考えた。でもそれで玉砕したら仕事上気まずいし、万が一、うまく行ったとしても遠距離恋愛になる。新任店長は地方の売上の低い店舗からのスタートになる、と店長が言っていたから。
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