31人が本棚に入れています
本棚に追加
「しかしお返しできない」
「いいんですよ。本当に必要ないんです」
老人はそういいながら強引に私のコートのポケットへお札をねじ込んできた。困りますと語気を強くしようと思ったが、周りに不審に思われるのも老人に悪いと思い、やめた。
「だが、あなただってここで誰かを待っているのでしょう。こんな寒い日に、こんなところに座っているなんて」
ついさっき座ったというような雰囲気には思えなかった。こんな寒空の下、ベンチにじっと座って彼は何をしているのか。
「ええ、待っていますよ。きっと来ることはないのですが」
「……どういうことですか」
「時間がおありなら、お話ししましょう」
私は老人の隣に腰かけた。コートを着込み、赤や白の袋を携えた人々が次々に私たちの前を横切っていく。その表情は家路を急ぐ楽しみに満ちたものや、愛する人のとなりでほころぶ笑顔に満ちている。しかし私はこのベンチに座る老人だけ、なんだか時間が止まっているかのような錯覚を覚えた。
最初のコメントを投稿しよう!