10月1日

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 甲樹は電話を切ると直ぐに、同僚にだけは事実を伝えた。誘拐、という言葉に過敏に反応する同僚に、見当はついている事、複雑な事情ゆえに届け出も出せない事、上司にも他の誰にも言わないで欲しい事を話した。  もちろん、それを聞いても納得するような同僚ではないが、拝み倒して渋々ながら納得させた。上司には体調不良による早退を願い出たが、今日は事件発生も無い為、あっさりと許可が下りた。  甲樹は乙也を呼びに行く。顔色を変えた乙也と2人で手分けして、弟達に連絡を入れた。家で寝始める直前だった克己が支度に少々手間取る、と言った。直接事務所前で落ち合うわけだから、支度に手間取っても克己が一番早いはずだ。  事務所は家から近いのだから。  果たして、甲樹と乙也が事務所前に到着した時には、克己が待っていた。次が丙司。最後が晴己だった。5人は無言で顔を見合わせる。気持ちは同じ。  まさか、こんなに早く行動されるとは思わなかった。  それは甲樹達5人の考えが甘いのか、相手が上手(うわて)なのか、その両方なのかは解らない。油断をしていたのは、確かだろうが。  苦い思いを抱えながら事務所の扉を甲樹が開けた。同時に聞こえて来たのは、泣きじゃくる真緒の声とそれを慰める拓真の声。  優子が拐われたにも関わらず、感情的にもならずに真緒を慰める事が出来る拓真を見て、5人は拓真を見直した。本当に優子に惚れているだろう事は明白で、その優子が拐われた場に居合わせた真緒。  自分の感情ばかりを優先して、自分の行動を正当化して相手を傷つけ、相手を思いやる事も出来ない男だと勝手に思っていた事を、甲樹は内心で謝罪した。  だからと言って、拓真を認めて優子をくれてやる、などという考えは、初めから持ち合わせてはいないが。あくまでも、上から目線で拓真を小馬鹿にしていた自分の見方を見直しただけである。  しかし、その冷静さは見習うべきものでは有った。5人も真緒を責めるつもりは毛頭無かった。既にあれだけ自らを責める真緒を見て、その心境は慮れるもので有った。責めるつもりは無かったが、冷静でいられる自信が無かったのも事実だ。  真緒から事情を聞くなり、拓真から事情を聞くなりするのに、冷静さを失えば、思考がうまくまとまらない。  甲樹は深く呼吸をすると、冷静になれ、と自身に言い聞かせた。そして弟達と視線を合わせて事務所に足を踏み入れた。
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