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秀は改めて、リビングのソファーに座りのんびりとコーヒーを啜っている目の前の男〔伊東京一郎〕を見た。
黒髪はオールバックに固められていて、白いYシャツに深緑と灰色のストライプのネクタイ、その上に黒いベストを着ている。
切れ長の一重の吊り目に、薄い唇、鼻筋の通った高い鼻。黙っていれば俳優にでもなれそうな色男だ。
「何を見ているんだ、何か文句でもあるのか?」
「……別に。何でもないですよ」秀はすぐ傍にあるソファーに腰掛けた。
「さては私に見惚れていたな」マグカップをテーブルの上に置き、ニヤニヤしながら伊東は言った。
「勘違いは程々にして下さい、伊東さん」
「“先生”と呼びたまえ」
「先生は誰にでもそんな態度なんですか」
「そんな訳無いだろう。網走先生や目上の人に対してはちゃんと敬語だよ。毒舌はなるべく控えている。」
「だったら僕にも控えて下さい」
「君は私より年も立場も下だろう。何故控える必要がある。やはり君は馬鹿だな」
「やはりって何ですか、僕のこと知らない癖に決め付けないで下さい」
「いや、分かるよ。君は顔からして馬鹿だ。大馬鹿だ。君のような馬鹿に出逢ったのはこれが初めてだ。褒めてやろう」
「………もう僕帰ります」秀は呆れ顔で立ち上がると、伊東に背を向けた。
「どうした?傷ついたのか?」
「違いますよ。貴方と話していると疲れるんです」
伊東との会話は、誰もがエネルギーと精神力を消耗する。
「秀君。これから毎日、学校が終わったら私の所へ来い」
その言葉に驚愕して、秀は伊東を振り返った。
「何の冗談ですか。毎日先生と会うなんて死ねって言ってるようなものですよ?」
「失敬だな。とにかく毎日ここへ来い、命令だ」
「何でですか」
「私が毎日君に会いたいからだ。それ以外に何の理由がある?」
相変わらずニヤついたままの顔でそう言われ、秀の頬は一気に赤く染まった。
「……からかわないで下さい。僕は会いたくない」秀は呟くようにそう言って、逃げるようにリビングを後にした。
玄関の扉が閉まる音がして、伊東はソファーに座ったまま一人笑って呟いた。
「面白い子だな、あれは」
生温くなったコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がって書斎へと向かう。
机の引き出しを開けると、確かにそこに直した筈の〔赤い蝉〕の原稿が消失していた。
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