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面倒臭いことになった、と思ったと同時に、(もし本物だったら)という考えが沸き上がって来た頃、隣を歩いていた伊東が何かを呟いた。
「面倒臭いガキだな、君は」
いや、呟いたのではない。秀に言ったのだ。
一瞬聞き間違いかと思った秀は、自分より二十センチ程背の高い男の顔を見上げた。
「今、何か言いましたか?」
「面倒なガキだと言ったんだ。君は顔も悪ければ耳も悪いのか?可哀想に」伊東はそう答えた。
秀の背筋を、冷や汗が伝ってゆく。先程とは打って変わったように、伊東は続けて言った。
「網走先生もさぞかし苦労をしているんだろうね。君のような息子を持って」
「何を言ってるんですか、さっきから。父がいた時と態度が大違いですね。偽物なら偽物だとさっさと白状して下さい」
秀も、負けじと言い返す。こんな男が伊東京一郎の筈がない。とは言い切れないことが怖かった。
秀は伊東京一郎の小説は知っていても、伊東京一郎の性格までは知らない。
「君は伊東京一郎の大ファンのようだね。網走先生が話していたよ」
「……だから何だって言うんですか」
「フフ、君のようなガキに言い寄られても困るんだがな」
「何言ってるんですか、貴方何処の誰ですか。今何処に向かおうとしてるんです?原稿なんて持ってない癖に」
「もちろん、私の家に向かっている。さっき言った筈だが。君は記憶力も悪いのか?救えないな」
「救えないのはどっちですか。あの〔伊東京一郎〕に成り済まそうとするなんて」
秀は、この男が伊東京一郎だということを否定し続けた。だが、細い路地に入って彼の自宅が見え始めた頃、その願いにも似た思いは消え失せた。
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