プロローグ -隅田川の河童-

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「待て!」と、後ろから声がした。 アリスは踏み出そうとした右足を留める。一考してから、後ろに顔を向けた。 墓石に寄っかかりながら、藤井が煙を吐いていた。 「何か珍しい事件を与えてやろう」 藤井がそう言った。 「何のまねよ?」 事件を与える――自分がさっき考えていたことを見透かされたので、アリスはギクリとした。 「探偵ごっこが好きだとさっき聞いた」 「探偵じゃないわ。単なる人助けよ」アリスはそう返答した。 「どっちでもいいだろう」 「よくない。それで、誰から聞いたの?」 「雑誌記者を名乗る女からだ」 記者の知り合いは一人しかいなかった。 「文紀ね?」 「そうだ。その男っぽい名前の女だ」 (藤井は墓参りに来た文紀に会っている。ということは、私が来るまで張り込んでいたことになる――わね) 「文紀から他に何を聞いたの?」 アリスは問いただす。やはり、この警官は怪しい人物だ。善人かもグレーだ。 「それだけだ」 「本当にそれだけ?」 「さあな。嘘かもしれんぞ」 藤井が挑発らしきことを言う。 少し間を空けて、アリスが言った。 「いいわ。文紀から聞くことにしたから。それで、事件のことを話しなさい」 藤井が煙草を踏みつけ、火を消した。 「やっと、聞く気になったか。手間取ったな。疑い深い女だ」 「ただ――聞くだけよ。まだ信用してないし、事件に関わる気はないわ」 「まあいい。おとなしく聞け」 藤井が面倒くさそうに了解した。 「――これは事件というより、単なる目撃談だ。今のところは被害がない」 「被害がゼロ?」 「ああ。そいつは目撃されただけだ」 「そいつって? 何が目撃されたの?」 藤井は間をおいてから言った。 「それは――河童だ」 思いもしない単語に彼女はきょとんとする。人や動物ならともかく『河童』というには驚いた。 「カッパって……あの河童よね?」 「化け物の河童だ。警官がその言葉を発するのはおかしいか?」 ごもっともな確認である。 「おかしいわ。そんな妖怪じみたのを警察が扱うなんて馬鹿げてるわ」 「だが、警察は動かざるえなかった」 アリスは問う。 「なぜ?」 「行方不明者の片割れの遺体が川に浮かんだ。その後日に河童を見たという証言が多かったのだ」 「まさか、河童を容疑者として――」 藤井は小馬鹿にしたようにフッと笑う。 「馬鹿な。河童を見間違えられた遺体として捜査したのだ。もう片割れの遺体がまだあるとしてな」
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