宇宙生命…私の母

2/2
前へ
/2ページ
次へ
私の母は、80半ばを過ぎました。最近、さすがに、言動や物忘れが少しずつ、異常になった気がします。 母は、さすがに私の、私達兄弟姉妹の幼年期、少年期の最大、最大級の存在でした。 いくつか、断片的な思い出があります。「これば、食わんね!!痩せとったら、貧乏人で、こっちがなあも食べ物あげよらんをとみられろうが!!」母は姉の口を無理やりこじ開け、スプーンを突っ込んでいた。 また、ある場面では、私は近所の遊び場にしていた神社の境内にいて、母に向かって叫んでいました。「し、死んでやる!!」 母はへらへらと笑った。「死ねるもんなら、死んでみろ!!」私は本気で 母を殺そうと思ったが まだ幼年で 具体策が浮かばなかった。人とは 本当にパンツをはいただけのサルに過ぎないと後年思った。 だいたい、私には母から抱いてもらった記憶が、ただの一度もない。血が繋がった実母だ。それに乳は 本物のヤギの乳でした。また、どんなに記憶をさかのぼっても 夜、昼 自分一人以外で寝たことはなかった。幼年期の事だ。だだっ広い部屋の天井は じいーっと見詰めていると樹の模様が変わって、悪魔の恐ろしい顔になった。そして、両親か近所の大人たちのヒソヒソ声が意味曖昧だからか、やがて 悪魔の囁きに変わり、私の頭の中でこだましていた。 そんなとき 私は宇宙生命について 考えていました。そうでないと、気が狂いそうだったからでしたが、意外にも 宇宙空間の存在理由のほうが、私を一生、苦しめ続けています。 それから、小学生の時、私は鉄棒から落ちて、頭を強く打ち、保健室に運ばれました。先生が心配して 私の母を呼びました。やがて 母が来ました。 「先生!保険ききますか?」それが母の第一声で、第二声も同じで、母は私に(大丈夫?) とか声をかけることもなく、保険がきくのでおカネの心配はないとわかると サッサと帰った。 それほど、お金を大事にしていたとも言えるのですが、…
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加