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今日はクリスマス。
きっとそこかしこで色んな「恋」が溢れかえっているに違いない。
ふぅ、と短く息を吐く。その息も灰色に染められて、風に乗って流されていく。
それをなんとなく目で追う。
視界の端に動く物。
顔を向ける。
彼女だ。
赤い傘をさして、携帯電話を耳に当てている。
誰かと連絡を取っているようだ。
どくん。
「恋」が暴れだす。
心臓に乗り移って、激しくノックし始める。
待て。
待て。
彼女が近づいてくる。
僕は右ポケットの中の物を強く握りしめた。
目の前に彼女。
ちらりとこちらを見ることもなく、通り過ぎた。
この短時間で、僕の擬態は完璧に仕上がってしまったのだろうか。
彼女の小さな足跡に目をやる。
無理もない。僕は彼女を知っているけれど、
彼女は僕を知らないのだから。
目を向けられなくて当然だ。
一歩踏み出す。
彼女の小さな背中を追う。
彼女の足跡の隣に僕の足跡を並べる。
ぞわりとする。
「恋」が心臓から右手に移動する。
「さぁ、出番だよ」
と、手中の物に語りかける。
僕は、右ポケットからそれを取り出した。
曇天の空に溶け入ってしまいそうな、灰色のナイフ。
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