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婉容の身体に戦慄が走る。ここで中国軍に捕らえられたら一体どうなってしまうのだろう? 不安と恐怖が突然心臓を鷲掴みにする。そして追い打ちをかけるように、船上からも応戦の銃声が立て続けにわき起こる。刹那、船体がバランスを崩して大きくぐらりと揺れ、婉容の身体は椅子から勢いよく投げ出されてしまった。
「皇后陛下!」
床に叩きつけられる! そう思って固く瞳を閉じた瞬間、その身体は璧輝にしっかりと抱きとめられた。
暗闇の中鳴りやまぬ銃声、飛び交う怒号。
婉容の身体は小刻みに震え、ぐっと璧輝の胸に顔を埋める。
「捕まってしまうの?」
心臓が押し潰されそうなほどの激しい動悸に息が苦しく、喘ぎながら問いかける。それに応えるかのように、恐怖に慄く婉容を抱き締める璧輝の両腕にさらに力がこもる。
「そんなことはありません。ご心配なさらずに」
優しい声音が、頬に降りかかる吐息が、外套から伝わるぬくもりが婉容に軽い眩暈を起こさせる。早鐘のように打つ胸の鼓動は決して恐怖だけのものではない。暗闇の中、固く抱き合ったまま恐怖と甘美が入り混じったような切ない陶酔の時間がどれくらい経ったのだろう? 突如機関がうなりをあげ、船は猛スピードで岸から離れてゆく。遠ざかる銃声と怒号。再び訪れる静寂。船は中国軍をかろうじて振り切ったらしい。船室内に灯りが点き、婉容は漸く瞳を開けた。
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