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「出迎えが来ております」
そう呟く璧輝の視線の先を追うと、岸壁に佇む日本兵五・六人の人影が見えた。
「中央の小柄な男が元憲兵大尉の甘粕正彦。ここから先は彼が皇后陛下をお護りいたします」
一際異彩を放つ丸眼鏡をかけた人物が、後ろ手を組んでこちらを凝視している。
「では貴方とはここで……」
「お別れです」
汽船は小さく揺れて埠頭に着岸した。
「お足もとにお気をつけ下さい」
そう言って再度差し延べられた白い手袋をはめた璧輝の手。婉容は躊躇う事無くその掌を固く握りしめた。
「川島、御苦労だった」
陸で迎える甘粕とその部下達。後方にはエンジンのかかったままの車が二台控えている。
「皇后陛下、長旅でさぞお疲れでしょう。この先は私甘粕正彦がお供させて頂きます」
小柄な体型とは裏腹に、全身から滲み出る強烈な威圧感。流暢な中国語を駆使して律儀に頭を下げる彼の、自分に対して投げられた一瞥に、僅かな睥睨を含んでいるのを婉容は見逃さなかった。彼女は甘粕の挨拶に応えること無く、璧輝に手を引かれ押し黙ったまま下船した。
そして婉容はいよいよ大連の地へと一歩足を踏み入れた。
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