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辛亥革命によって紫禁城を追われた清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀とその皇后婉容(ワンロン)が日本の保護の下、日本公使館を経て天津の日本租界にある「張園」からさらに「静園」へと移り住むこととなったのは1929年。
さらにその二年後の1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖において、関東軍が南満洲鉄道の線路を中国側の仕業として爆破した事件に端を発した満洲事変が勃発。これが長きに渡る日中戦争の幕開けであった。以後関東軍は中国東北部「満洲」の制圧と侵略を推し進めてゆくが、国際世論の批判を避けるため、満洲全土の領土化ではなく、日本の保護下における独立政権──いわゆる傀儡政権の樹立へと方向転換することとなった。
関東軍奉天特務機関長・土肥原賢二大佐は、「静園」にて軟禁生活を送っていた愛新覚羅溥儀に日本軍への協力を要請。溥儀は満洲民族の国家である清王朝の復興を条件に、新国家の元首となることに同意したのだった。
11月10日、溥儀は天津を脱出し、その後営口を経て旅順へと移り、関東軍の保護の下、約束の地である満洲で着々と機会を窺っていた。
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