第一章

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 切れ長の眼光鋭いそれはきつく婉容の視線を捕え離さない。対する婉容も、その煌めきを潜ませた大きな黒瞳で臆することなくそれをしかと受けとめる。二人のぶつかり合う視線は虚空で火花が散ったように閃き、もつれ、そして引き寄せ合うように絡み合う。そしてその固く絡まった視線の結び目をなかなか解くことが出来ずに、互いに見つめ合ったまま時が流れた。 「金璧輝、命を賭けて皇后陛下を護衛致します」 「中国人なのね」  驚く婉容に、璧輝は静かに頷いた。 「清朝復辟(ふくへき)という大義の為に今は関東軍の下で活動しております。本日皇后陛下をお迎えに上がったのも、すべてはその為」  復辟とは退位した君主が再び位に就くことである。清朝復辟とはすなわち清朝の再興との意だ。  満洲事変以降から、婉容の身辺でうっすらとかかった靄のように囁かれてきたこの清朝復辟という言葉。ここ「静園」にせわしなく出入りするあまたの日本の将校。それらが溥儀が脱出したことと何かしら関係があろうことは、婉容もいくらかは察知していた。けれどその言葉を彼女が具体的に現実として体感したのは、この時が初めてであった。
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