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男が立ち止まった場所は、なんてことのない路地の一角だ。だがそれは追っ手をまいたわけでも暗い場所に隠れているわけでも、ましてや逃げるのを諦めたわけでもなかった。
ここが、男の目指した場所だった。
胸元へ手をつっこみ、乱暴にまさぐるようにして鍵を取り出す。それを鍵穴に差し込もうとし、暗くてよく見えないのと焦りと恐怖が加勢して、狂った手元から鍵は滑り落ちた。
キンッと硬質な音が足元で鳴く。慌てて鍵を拾おうとかがみ込んだ時、その声はやってきた。
「おや、鬼ごとはもう終わりですか?」
その声は、小鳥がさえずるように幼く、水の中に青を一滴垂らしたように闇へ染み入り、300年生きた錬金術師のように不可思議で、なにより悪魔のように魅力的で不気味だった。
男の身体が思い出したように震える。嫌な汗が全身から絞った雑巾のように溢れだした。指先が震えて鍵をうまく拾えない。
焦点が合わずせわしなく動く瞳が、声の主を捉えた。黒く闇に溶ける少女が薄気味悪く顔を歪め微笑んでいた。
しと、しと、と少女が一歩ずつ近づいてくる。それが男を余計に焦らせ、恐怖させた。
やっとの思いで鍵を握りしめたときだった。顔を上げると少女はすぐに目の前で、哀れな男の涙ぐんだ顔を見下ろしていた。
「ふむ、これはなかなかオイシソウだ」
不気味に微笑む彼女を見上げ、男は小さく悲鳴を漏らす。そして、自分の死を予感した小動物のように小さく固まってしまった男を見つめ、少女は舌を舐めずる。
「や、やめ……」
「それでは……いただきます!」
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