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 状況がつかめない裕之は、ただついて行くしかなかった。彼女を見失わないように、しかし一定の距離を置いて歩く。  彼女が向かっているのはテニスコートの方だった。裕之の体が微かに強ばる。昔の記憶が微かに脳内に浮かぶ。  頼む、テニスコートだけはやめてくれ。そんな裕之の願いも虚しく、彼女はテニスコートの中に入っていった。どうやら鍵はかかっていなかったようだ。逃げ出したい気持ちを押さえて、裕之は中に入る。  中に入って、裕之は驚いた。先客がいたのだ。自分より十センチ以上背が高く、半袖のワイシャツから露出された腕は強靭な筋肉を纏っていた。鋭い視線に見つめられると、裕之は自分が小さくなったような錯覚を感じた。この男のことは、名前も知っていた。中渡悠斗。テニス部のエースだ。ダブルス専門プレイヤーらしいが、その実力は凄まじく、大会の度に上位に入り表彰されていた。 「キミが、大井くんか」  目の前の男から発せられた声は、存外優しいものだった。見た目とは真逆だ。 「……ああ」  裕之が短く返すと、中渡は大股で歩き近づいてきた。目の前で止まると、裕之の手をとって、真っ直ぐ目を見つめる。 「……え」  あまりのことに裕之は、手に持っていた弁当箱を落とした。しかし、中渡は気にスロ様子もなく、次の言葉を口にした。 「頼む、テニス部に入って、俺とペアを組んでくれ」  あまりの出来事に、裕之は驚くしかなかった。 「な……なんで俺が……大体、お前には自分のペアがいるだろ」 「俺のペアが目の病気にかかって……現役中の復帰は困難なんだ。それに、はっきり言って、現行の部員に俺とペアを組めるだけの実力はない」  中渡の辛そうな声を聞きながらも、裕之はまっ先に、断るという考えが頭に浮かんだ。しかし、裕之が口を開く前に、裕之をここまで連れてきた女子生徒が、懇願するような声を出した。 「お願い、あなたが小学校時代、全国で二位になったことは知ってるわ。力を貸して」  その声に、裕之の過去の記憶が頭の中に浮かんだ。辛く、真っ暗で思い出すだけで吐き気がするような記憶だ。 「頼む、俺は全国に行きたいんだ。お前の力が必要なんだ」  中渡の追い打ちがかかる。やめてくれ、と叫ぼうとしたが、声が出なかった。記憶の渦が裕之を飲み込んでいく。 「お願い、大井君」
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