赤が舞う

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 震える声が溢れる。  すぐに決断することは、どうしても出来なかった。 「分かりました。しかし、あまり時間はありません。十分……それが最大限、許される時間です。それ以上は奥さんへの、そしてお子さんへの負担が大きすぎる」  たった十分。それが、青年に与えられた猶予。これからの人生を大きく左右するであろう、避け得ない残酷な分岐点(ターニングポイント)。  どちらを手に取り、どちらを切り捨てるのか――男性医師が言うように、正しい選択などありはしない。これは最善策を得るためのものではなく、自身の想いを試される時なのだ。どんな決断をしたところで、やはり後悔は残るのだろう。その後悔の矛先をどちらに向けるのか、ただそれだけの問いだ。  こんな時、彼女なら……美晴ならどうするのだろうか。自分の身を糧にしてでも子供に生を与えたいと願うのか、それとも共にこれからもありたいと、そう思ってくれるのか。  おかしな話だった。出会ってからこれまで、彼女に頼られることはあれど、頼ることは殆どなかったというのに。こんな時にばかり頼ろうとする。逃げたいと思ってしまう。けれど今――決断を下せるのは、自分だけ。  そう、これは自分だけの問題ではないのだ。この選択の如何で、美晴の、まだ見ぬ子供のこれからが決まってしまう。彼女に子を失った喪失感を与えるのか、子に母親の居ない不自由を与えるのか。背負わされるのは、自分だけではない。それら苦渋を分かち合う相手を、選ぶ。これは、そういうことだ。  考えれば考える程、彼は懊悩する。美晴に喪失感など与えたくなどないし、かといって子にそれを押し付けるのも論外だ。何よりどちらも失いたくなどない。まだまだ美晴とは一緒に居たい、子供の成長を見届けたい、家族揃って思い出を積み上げていきたい。  明るい未来を、欲していた。  繰り返す。くどいと自覚しながらも、幾度となく繰り返す。堂々巡り。前進はなく、代わり映えなく同じ思考をぐるぐると練り回す。そして想像する――ただ幸福に満ちた未来を。三人で並び、共に歩む道筋を。それが最早叶わないものだと知りながら。
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