赤が舞う

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 不意に、輝かしい光景が深い紅に染まった。それは記憶に新しい色彩……彼女から溢れ出た、純白の雪を汚す血の色だ。あの時のことを思い返すだけで体が震える。胸の奥が締め付けられ、心が軋み、涙が滲む。あんな思いは、もう二度としたくなかった。触れていた、今そこにある大切なものが失われようとする様など、見たくない。  いつの間にか閉じていた瞼を、青年は重々しく持ち上げた。顔を横に向け、男性医師を見つめる。  意識せず出た言葉は、裁断を告げる音色だった。 ‡  麻酔が殆ど抜け、ようやく体を自由に動かせるようになり――青年は、廊下に設えられた長椅子に腰を落としていた。向かって右側、すぐそこには扉があり、『手術中』の文字が浮かぶプレートが光を灯している。  ここに座ってから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。時の経過があまりにも重く、そして遅く感じられる。早く終えて、自分が下した決断の結果を、その罪から成る罰を見せつけてくれと、そう思う。  彼の願いが通じたのか、プレートの光が消える。ややあって、扉が緩慢に開き、術衣を血で濡らした男性医師が姿を表した。  青年の視線に気が付き、ひどい疲労を露にしながらも笑みを浮かべる。 「手術は無事……とは、前提からして言えませんか。しかし、貴方の決断に報いることは、出来たはずです」 「……ありがとうございます」  深く、頭を垂れる。喜びよりも悲しみの方が圧倒的に感情を侵していたが、それでもこの男性医師は出来る限りのことを尽くしてくれた。励まし、後押しをくれた。彼がああして諭してくれなければ、自分は未だに決断することが出来ていなかったかもしれない。  その全てに向けての、感謝だった。 「今聞くのは不躾でしょうが……後悔は、していますか?」 「はい、確かに」 「それは、良かった」  全てを喜の感情とすることは不可能だが、それでも男性医師は笑みを深くし、 「それでは、さあ、顔を見に行ってあげてください。きっと貴方を待っている」  促され、青年は立ち上がる。  扉の向こう、手術台に横たわり生を握り締める、その姿は――
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