序章 苦しみの幸せ

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 彼女は続けた。 「理由、分かる?」  彼女が、僕を、殺す、理由――。 「……僕が」  ――“あれ”を見てしまったから。  彼女は無言で頷いた。首を上下する、それだけの事なのに、酷く、重い。  彼女の想いが――とても重く感じた。  それに気付いた時、『嗚呼、そうか』と僕は納得する。心の底まで彼女の想いを感じた。『僕を殺さなくてはいけない』、そんな、堅い硬い難い気持ち。  だから、僕はこの解答を口に出す。 「いいよ、殺しても」  ――。  無表情だった彼女の顔に、少しだけ驚きの色が出てきた。何を言ってるんだ、と言わんばかりに。  理解されなかろうが、これが僕の気持ちだ。彼女が『僕を殺したい』と言う想いを持っているなら――僕も同じ。僕は『僕を殺したい』のだ。  それなら良い。  僕は彼女が硬直した、その一瞬の緩みの内に、彼女の手をナイフと共に掴む。そして、ナイフの先端を――僕の脇腹に刺した。 「っう……!」  ナイフの本当に先端。それを少し肉に刺しただけなのに、もの凄い痛みが体中を駆け巡る。熱いモノが込み上げて、流れ出て。  ――このまま刺せば、死。  僕は目線を、ナイフから彼女に戻した。先程と同じ、否、先程よりも目を丸くさせている。  これが、ついさっき、無表情に人を殺した少女の顔か。僕を殺そうとした殺人犯の顔か。  そう思うと、なんだか笑えてきた。  到底、笑える状況じゃないのに。 「……ど、うして…………?」  彼女は震えながら、か細い声を絞り出した。僕が握っている手も見て分かる位、大きく振動している。  彼女に向かって、僕は微笑んだ。  いや、微笑めていたか分からない。僕は長年、“微笑む”と言う行為をしていなかったから。だから、今の僕の表情は彼女から見て、微笑んでいられてるのか分からない。  でも、僕の意識の中では――僕は確かに微笑んでいる。
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