序章 苦しみの幸せ

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 僕は答える。彼女の疑問に。 「――僕はさ、“人の幸せ”が、この世で一番好きなんだ」  “人の幸せ”。  他人の幸せ、知人の幸せ、愛人の幸せ、友達の幸せ、血縁の幸せ、相手の幸せ、味方の幸せ、敵方の幸せ、故人の幸せ、偉人の幸せ、隣人の幸せ、善人の幸せ、悪人の幸せ。  兎に角―― 「“僕以外の誰かの幸せ”が好きなんだよ。誰かが幸せによって、笑って、安心して、休んで、安らいで、一息吐いて、楽しんで、喜んで、嬉しがって――そんな幸せな姿が。僕まで、幸せになる様な錯覚を見る。逆に、“人の不幸”は嫌い。それは人を悲しませるだけにある資源だ。悪、それに負けず劣らずのモノだね――だから勿論、君の“幸せ”が僕は好きで、君の“不幸”が僕は嫌いだ」  例え、君が人殺しでも。例え、君が“堕ちている”人でも。  僕のそれの、例外では無い。  例外は――僕だけで十分だ。 「君は僕に“あれ”を見られては、悪い理由でもあるんだろ? 見られた以上、その見た方を殺さなければいけない位の理由が。君が不幸になってしまう理由が……それに、穢れた僕を殺す事によって君の手が汚れてしまっても、それはそれで、不幸に違いない。君は穢れるべき人じゃないからね――つまり、僕が自分で死ねば、君は幸せ」  僕の不幸と君の不幸。  天秤に掛ければ、君の不幸の方が、重く悲しいに決まっている。  だから、僕は――。 「ここで、死のう」  僕は再び、手に力を送る。  大手のナイフは、ずぶずぶと、僕の脇腹に突き刺さる。豆腐を包丁で切るが如く、どんどん刀身が肉と血の中に消えていた。  はっ、と彼女はそれに気付き、自らも手に力を加え、僕のその動作に抵抗する。ナイフの進む方向の逆――つまり、彼女は手前にナイフを引っ張ろうとしていた。  しかし、時、既に遅し。  刀身は――もう七割程、僕の脇腹に収まっていた。
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