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高校を卒業した私は、暗くいびつな家庭から逃れるように、隣町に安アパートを借りて暮らしていた。
アルバイトで生計を立て、いっぱしの自立した大人の男のつもりでいたのだから、笑止の沙汰である。
「漫画家かぁ……」
千津子は一転、しみじみした様子で言った。
「ええね、夢があるって……」
どこか淋しげな風情で、そう呟いた。
私を見つめるその瞳は潤いを帯び、夕陽に照らされて輝く海のようだ。
こういう面差しの時の千津子は、たまらなく煽情的だった。
私は不覚にも、股間が脈打つのを感じた。
野性が脈打っているのだ。
心の最深部で脈打つ野性は、そのまま私の野心に連結していた。
東京へ出て、一流の漫画家になる……
その野心に。
「でも、ホンマに東京へ行ってしまうん?」
千津子は相変わらず、淋しげな微笑をたたえたまま、囁くように呟いた。
「おう、ワシは東京へ出て、一流の漫画家になる」
私は自身の決意を確かめるように、凜乎たる声で言った。
心に、かすかな痛みを感じながら。
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