118人が本棚に入れています
本棚に追加
――文久三年(1863年)、
京の町を駆ける、一つの人影があった。
漆黒に染まった夜、灯りを避け足早に帰路を急ぐ。但しその影は道ではなく、民家や武家屋敷の屋根を伝い移動していた。
足音を立てる事なく疾風のように走り続けていると、とある商家の屋根で足を止める。道に人の気配が何もない事を確認すると、瓦を動かしスルリと中へ滑り込んだ。
入り込んだ屋根裏から更に移動し、奥座敷の真上を目指す。
目的地に到着すると、屋根裏の板を外し座敷の様子を窺ってみる。灯りがある事を確認すると、そのまま座敷へと降り立った。
「ただいまー」
「遅い!」
ダンッと畳を荒々しく叩き、眉間に皺を寄せる老爺の姿が其処にはあった。
不機嫌そうに自分を見据える老爺に、座敷に立った青年は首を傾げた。
「……何が? 今日は遅くなるって言ってたよね」
「そうではない! 東雲(しののめ)お主、儂の酒を一体何処に隠したんじゃ!!」
東雲と呼ばれた青年は、ああそうか、と納得がいった顔をする。
確かに酒は隠した。隠したというか、持ち去ったという方が正しいだろう。今日はどうしても外す事が出来ない仕事だけに、土産を渡す必要があったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!