情けなく生き延びた色

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 水を飲んだ。これは最後の水だと思おう。筆を執った、これから何を書こうか。何も思いつかなかった。しばらく考え込んだあと、諦めた様に一文書いた。 「ありがとう。ごめんなさい。」  綺麗に終わろうと思った。理由はどうでも良かった。ありふれた理由なのだろう。人生が嫌だとか。誰が嫌いだとか。自分が嫌いだとか。  『恥の多い生涯を送ってきました』だとか。  思い出すのも嫌な、嫌、いや、必要のない過去と言った方が良いだろうか。もう辛いとも苦しいとも怖いとも寂しいとも何も何も感じなくなっていた。終わりを決めたからもう全て消えていた。    何がこんなに自分を綺麗な死に向かわせてるのかはわからなかった。 私は紙切れを机に置いて、すっと立ち上がった。実は居間に家族が居るのは知っていた。私は家族に気付かれるかどうかさえどうでもよく、外に出た。誰も気づかなかった。ああそう言えば、言い間違えたね。家族が居るのは「知っていた」けど「気付かなかった」のだったよ。全てが綺麗な黒になっていた。  外に出ると、外も黒だった。いつもなら黒々と暗澹と斑模様の空さえ綺麗な黒に見えた。肌を撫でる風は透明な黒に見えた。静かに場所を探した。ここは住宅街だからそんな場所もない。でもわざわざ電車やタクシーを使って郊外に向かう気は起らなかった。  ただこの、久しく、それとも初めて味わった、真っ新な黒い感情に、暗い感情に、身を委ねて動きたかっただけかもしれない。自分の体は誰に、何に支配され、指示され、突き動かされているのか。そんなこともどうでもよかった。今振り返ると。  道行く人も覚えていない。ただ暖かそうな服を着ていて、幸せそうに見えたのは確かだろう。人々だけは黒に見えなかった。様々な色に見えた。柔らかい色に見えた。明るく輝いていた。人の動かしている車や、人のいるスーパーも明るく見えた。実際に明るかったのもあるだろうが。そこに働く人や、自分のすぐ側を何も疑わずに通り過ぎて行った親子にだって、何か黒い物は少なからずあるだろうと少しは思った。しかしそれが何だと言うのだ。それは私には何も関係ない。今から黒になろうとしている、真っ暗な道を進む私に。
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