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行くな、と自分に言ったフェルデンの悲痛な声は、まだ耳に木霊している。
朱音は、傷ついたフェルデンをあの洞窟の前に置き去りにし、敵国へと自ら去ってしまった。
「奴に会ってどうするおつもりですか。貴方は、サンタシにとって今や脅威でしかない。貴方は奴をあの森で見捨て、自らの意思で私とともにこの地へと来たではありませんか。そんな裏切り者を奴が歓迎するなどと甘い考えはお捨てなさい」
アザエルが言った冷たい言葉は、朱音の胸に深く突き刺さっていた。
今目の前にいる青年が、どれだけ自分を大切に思い、助けようとしてくれていたことか。
そんな恩人をも裏切り、こうしてアザエルとともにゴーディアへとやって来てしまった自分は、ただの裏切り者以外の何者でもなかった。
儀式での苦しみや朱音自身の肉体を失ってしまったことは、その罰なのだと、朱音は自らに言い聞かせた。
「貴方をこんなに苦しめてしまって、ほんとにごめんなさい……」
朱音は、今は力無いフェルデンの逞しい手をぎゅっと握り締めると、項垂れた額をすり寄せた。
つうと長く黒い睫の下からつうと一筋流れた涙は、ぽとりとベッドの白いシーツに染みをつくった。
「せめて、貴方が無事にサンタシに着くまでは、今度はわたしが貴方を守ってみせるから……」
フェルデンは夢を見ていた。
温かい手の温もり。
懐かしいチチルの実の甘い香り。
「きっと良くなるから……」
耳元で囁く優しい少女の声。
(アカネ……、戻って来てくれたのか……)
一度は亡くしたと思った無垢で愛しい少女の存在を、確かにすぐ傍で感じていた。
(良かった……、無事だったんだな……)
眠ったフェルデンの表情がほんの少し穏やかになった気がした。
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