第3章 旅編

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  思い切って扉から這い出るようにして外へ出ると、甲板はまるで地獄絵図だった。   周囲の海はいつものように青く穏やかなものではなく、黒く高い波がほとんど船を寝かせてしまう程にリーベル号を目茶苦茶に揺さ振っていた。 船を通り過ぎた波の水しぶきが、甲板の上を増水した川のごとく流れ交っている。 立派な商船リーベル号はもとは戦闘用の船で頑丈に設計されている筈だったが、今は荒れた真っ黒な海の上に漂うただの小舟でしかなかった。   荒れ狂う波の音達に混じって、ギシギシと軋みを伝える船の音、そして懸命に転覆させまいと海に挑む船乗り達の声が僅かに聞こえる。 「無理だ……、こんなの、歩くことさえままならないよ……! ほんとにこんな中に陛下は……」   ふと過ぎったとんでもない考えを、ルイはふるふると首を振るって断ち切った。 (僕は一体何考えてるんだ……! 陛下は、こんな僕を側近と言ってくれたんだ。陛下の危機を僕が救えなくてどうする……! 僕は陛下にずっとついていくと約束したんだ!)   ぎゅっと目を閉じ決心を固め、ルイは持っていた縄をマストにしっかりと結びつけ、何度も転がりながら朱音の姿を探し始めた。 (陛下……! 待っていてください! すぐに参りますから……!)    ”海の天気は変わりやすい”   昔そんなことを祖父から聞いたような気がする。   母方の祖父は、マグロ漁に命を懸ける生粋の漁師だった。 「お爺ちゃんは海の男だから、潮の流れや海の天候予報のプロなのよ」   母はマグロ漁船で漁を続ける祖父のことを誇りに思っていた。そして孫である朱音も……。   今頃になって、朱音はそんな事を思い出してひどく後悔していた。   船の揺れがきつくなったと気付いたときには既にもう手遅れだった。 波はあっとう間に高くなり、直ぐに立っていることさえ難しくなった。 真っ暗闇の船室には船外からの海水が流れ込み、床中水浸しである。 それに、軽い積荷や樽は揺れで転がったり、倒れたり、はたまた床上の海水を浮かんでは激しく揺さぶられていた。
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