第3章 旅編

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【28話 一欠片の記憶】 「陸地を離れて一週間、このところ刺客が送られて来ないからって、ちょっと気を抜いてたんじゃねぇの?」   背後から若い男がぼそりと呟いた。   アザエルは男の気配に全く気付くことができなかった。   この激しい揺れと波や風の音が原因していることもるが、アザエル自身も疲れがピークに達していたということもある。それに、今は船内で行方不明となっている少年王の姿を探すことに意識をとられていたのだ。   揺れ動く船で背後から男がアザエルの背にただ体当たりしただけではなかった。 「間諜か……、うまくやったな」   男の手を伝い、赤く黒い血液が筋になって床へと零れ落ちていく。 「そりゃどうも」   アザエルの背に深く突き刺された短剣は、男の手により乱暴に引き抜かれた。   アザエルが腰の剣を鞘から引き抜いたと同時、男はひょいと身軽に背後へと飛び退いた。 「そんだけの傷を負っておいて、まだ動けるとはな! そりゃあ今まで送り込んだ下衆共じゃ到底敵わねえ訳だ」   男は、リーベル号の船長であるアルノの助手の青年だった。 「まさか船長の助手が間諜だなんて思いもしなかったろ?」   青年は常から被っている紐を編んだような風変わりな帽子を脱いだ。 帽子の下からは無造作な深紅の髪が現れる。 「その髪……、ファウストか……!」   じっと目を細め、アザエルは青年をじっと見据えた。 「光栄だね、かの有名な魔王の側近様に名前を見知っていただけていたとは」   くくくっと笑うと、ファウストはがくりと膝をついた碧髪の美しい男に向かって言った。 「これでも、俺は魔王ルシファーの右腕と謳われたあんたを尊敬してんだ。あんたを殺すって任務さえなけりゃ、ぜひとも魔力の戻ったあんたとやり合ってみたかったね」   内臓のどこかが傷ついたらしい、アザエルはごふりと鮮血を口から数回吐き出した。
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