第3章 旅編

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  朱音が指さした先は流されゆくマストの残骸だった。 しかし、その中に僅かだが人のようなものが上半身を乗り出すような形でしがみついているのが確認できた。 「クリストフさん! 」   二人が気をとられている間に、船に大きな波が襲い掛かった。 「!!!」   命綱をなくした二人はあっという間に海水に飲まれ、気付いたときには船から投げ出されていた。   ルイとは逸れてしまった。 酸素を得ようと必死に水面に上がろうとするも、次々と荒れた波が朱音に圧し掛かり、嫌という程塩辛い水を飲んでしまう。   焦ってもがくけれど、余計に体力を消耗するだけで、朱音の意識は次第に薄れていった。 「母上は、僕のこと嫌いなのかな?」   見覚えのある庭。   黒調の石壁から透明な水が流れ出し、美しく彫り飾られた石段の周りには赤い薔薇の園が広がっている。   五歳程の黒髪の幼い少年は、その石段の傍で蹲り、泣きべそをかいていた。 「まさかそんな……。お母上は殿下を愛していらっしゃいますよ」   少年の背後から、藍の軍服の男が声を掛けた。 「違うもん! 母上は僕のこと避けてるんだ……」   大きな黒い瞳は潤み、涙を目いっぱいに溜めて少年は男を見上げた。 「殿下、そうではありません。お母上はご病気なのです」   見上げてみた男は美しい碧い髪と碧い目をしていた。    少年はわあっと大きな声を上げて男に駆け寄ると、男の腰にぎゅうと抱きついた。 「僕はこんなに淋しいのにっ……、僕はこんなに母上が好きなのに……!」   男はほんの少し悲しみを含ん、優しい笑みを浮かべ、少年の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
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