第3章 旅編

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【29話 嵐の後で】   嵐の去った夜明け、廃船のようにやつれてしまったリーベル号の船首に立ち、昨晩の荒れた海が嘘のように穏やかな海面に朝日が昇るのを、アルノは静かに見つめていた。 「アルノ」  一晩にしてすっかりやつれた様子の船長の隣に、フェルデンは背後から近付いた。 「フェルデン様、ご無事で何よりです」   そう言ったアルノの声はひどく掠れていた。 「ヴィクトル陛下がアルノを今回の任務に選抜した理由が今はよく分かる。船長、あなたの腕が無ければあの嵐を乗り切ることはできなかった」   昇る朝日を遠い目で見つめたままのアルノにフェルデンは言った。   それは、アルノに対する敬意と感謝を込めたつもりだったが、アルノはその言葉を快く思わなかったらしく、難しい顔をして小さく首を横に振った。 「いえ、それは違います。わたしは船長失格です。この航海を最後にして、わたしは海を去るつもりです」 「どうしてだ? おれはそうは思わないぞ……?」   目を伏せり、アルノは悔しそうに穏やかな波間に視線を落とした。 「今までの人生で海から得たものは大きい。しかし、今回の航海で失ったものがあまりに多すぎる」   甲板には今はアルノとフェルデンの二人と、見張り台で番を務める船員を除いては誰も見当たらなかった。 それというのも、昨晩の嵐に夜通し戦いを挑んでいたクルー達は、今朝方やっと身体を休める時間を得、皆眠りについたばかりだったからである。 「ビリーにニック、スコッチ……。ニックは先月婚約したばかりだった……」   呟くようなアルノの話に出た名前は、全て嵐の犠牲になった者達のものだった。 「その上エフまで……。あいつは将来有望な船乗りだった。まだ若いというのに、よく助手として働いてくれていた。なのに……」   フェルデンは、じっとアルノの話に耳を傾け続けた。
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