第2章 ゴーディア編

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  だるい身体を勢いよく起こし、朱音は慌ててベッドから飛び降りると、何か姿を映せるものはないかと探し回った。 その間も、足首まで伸びた真っ黒な黒髪は、ひどく頭を重く感じさせ、そして歩くのを邪魔する。 (どうしよう……、なにか、なにか映るものを……)   銀のトレーに載せられた水の入ったグラスと布に気が付き、慌ててトレーごと引っ掴むと、グラスが音を立てて割れて飛び散ることも構わずに、自らの顔をそのトレーに映し見た。   鏡と違い、少し曲がって映った自らの顔は、見慣れている朱音のものではなかった。   真っ黒な長い黒髪、朱音は、これ程までに真っ黒な瞳を見たことは嘗てない。黒曜石の瞳の少年は、朱音が儀式の際にちらと盗み見た棺の中の少年に間違いなかった。   ぽろりと手から離れたトレーが、銀特有の大きな音を立て床に転がる。   勢いよく部屋の扉が開き、紺の制服に身を包んだ近衛兵の若い男が飛び込んでくる。 はたと数秒間の沈黙の後、男はしまった、とばかりにたじろぎ、 「で、殿下……! 失礼致しました! わたしは、アザエル閣下から部屋の警護を任されておりますトマ・クストーです。大きな物音がしたもので、つい……」   肩膝をつき、頭を下げて礼の形をとった男の腰に、剣が帯びられていることに気付いた朱音は、引き付けられるように駆け寄って、その剣を引き抜いた。   はっとした近衛兵の若い男は、 「殿下! 危険です! おやめください!」 と声を張り上げたのも束の間、朱音はその剣を掴んで、自らの長い髪を乱暴にたくし上げると、ザクリとそのほとんどを切り落としてしまった。 「な、なんということを……」   男は呆然としながらあわあわとうろたえた。 「一体何事だ」   背後からの突然の声にびくりと反応し、近衛兵の男は、冷たく碧い上官に向き直った。
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