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裸眼のシンデレラ
私は眼鏡を掛けずにいるのが好きだった。
視力は悪い。左0.2の右0.5、確かそれくらいだったと思う。
コンタクトも持っている。しかしそれを付けるのはほんとに稀な事だった。惰眠いぎたなき懈怠な朝のここちよさに時間ぎりぎりまで浸った後、そんな手間は掛けられないと裸眼のままで家を飛び出す。高校までの数十分をおんぼろバスに揺られた後、悪い視力でバスを降りて、ぼけた視界で道を歩く。
裸のままの目が捉えるのは、全てのものが薄ぼんやりとした輪郭の不明瞭な世界ばかりだ。
煮えきらない色の霞んだ空の端と、だんまりを決めこむ山の境が表面張力見たようにはっきりしないでくっついている。
遠く聞こえる鳥の声や駆けていく運動部員の足音も、冷涼な冬の朝にみんなそれぞれの境界を失ってぜんぶがひとつの世界になる。
そんな一体感が、たまらなく好きだった。
高校の正門を通り抜け、ローファーのかかとを鳴らして段差を登り三年間使い慣れた昇降口に入っていく。
ちょっと爪先を振ってやれば、私の足より少し大きめのローファーはするりと脱げてしまうので手を伸ばして二足分、かかとのあたりをつまんで自分の下駄箱に放り込む。
シンデレラのガラスの靴ってもしかしたらローファーだったんじゃなかろうか。
お城の階段駆け降りる途中で、ちょっと爪先を振ってやる。丁度私が今したみたいに。
さようならを嘯いて、翻るドレス。セーラー服とプリーツスカートに代えた所できっと違和感なんてない。
シンデレラのローファーからくたびれた上履きに履き替えたら、私は理不尽な継母の代わりに教師のお小言を聞き流し、意地悪い義姉たちの代わりに都合のよい先輩たちのパシリをする。そういう世界に切り替わる。
でもぼやけた視界は、そんな現実をほんのちょっとだけ和らげるのだ。
私も校舎も先生も、上履きも先輩も廊下の喧騒も。
ぜんぶが輪郭と意味を手放してひとつに溶けあってしまうから、
あまり切り替えを意識しなくても済んでしまう。
揺らいで滲んだ階段の縁につまづいて転けてしまわないよう、一段ずつ踏みしめながら歩いていたら、突然背中に手のひらの熱を感じた。
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