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東は、居酒屋のときのような爽やかな雰囲気で応接室に入ってきた。
「いいえ、大丈夫です」
将彦は硬い調子で答えた。デモテープ録りが一気に現実感を帯びて、彼は再度、緊張し始めた。
「いいコーヒーの匂いだね。僕はスタジオの中では飲まないからリフレッシュするよ。
すぐに始めたいんだけど大丈夫かな?」
「はい!少し緊張していますが」
「そりゃそうだよ。デモテープを作るのは初めてなんだもんね?何回失敗してもいいから、素のままで歌ってくれればそれでいいよ」
東の笑顔と励ましの言葉で、将彦は少し気楽になった。
「よし、それじゃあ行こうか?」
「はい」
将彦はコーヒーの最後の一口を口に含み、覚悟を決めて立ち上がった。
将彦が応接室から出ると、ちょうどレコーディングスタジオの部屋から女の人が出てくるところだった。
「あ!」
将彦は驚いた。スタジオから出てきた女性も将彦の方を向いて驚いていた。
「こんにちは!まさかこんなところで会えるなんて!」
女性は東と将彦の方へ歩いてきた。
「ん?千鶴、金村くんと知り合いかい?」
東が意外そうな表情で言った。
「うん。ストリートで歌ってたのを見たことがあるの」
「あぁ、そうか。将彦くん確かそんなこと言ってたね」
東は、少しホッとして言った。
「紹介しようか。土屋千鶴さん。僕が今付き合っている女性だ」
将彦の視界はその事実に衝撃を受けて一瞬真っ白くなった。
「そう、でしたか・・・」
将彦のやっと搾り出した言葉がこれだった。
途方もない失望感が将彦を襲っていた。やはりあの日見た車と、東の車は同じもので、千鶴に電話をしてきていたのも東だった。
将彦は失恋した。もはや彼の心はデモテープ録りどころではなかった。
「大丈夫?顔色、悪いみたいですけど」
千鶴が気遣って将彦に声をかけた。
「・・・あ、はい。大丈夫です」
「金村くんはこれから初めてのデモテープを作るんだ。少し緊張しているんだよ」
そう言いながら東は、先ほどとは将彦の様子が違うことに気が付いた。
「そうなんだ!デモテープって・・・デビューするんですか?」
「えっと、歌の甲子園に応募するんです」
将彦は、千鶴の方を直視できないまま言った。
「ああ!歌の甲子園ね!ファイナル毎年見てる!東さんは関係ないの?」
千鶴は東に聞いた。
「うーん、今年は僕のとこの会社は関係ないんだ」
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