前哨戦

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前哨戦

 将彦は、暁子の写真展の手伝いに六月いっぱい入ることになった。彼は、予備校を最優先にするようにと佳津子からきつく言われていた。しかし、彼が予備校に通えないようになったのを知っている暁子が、図書館やCDショップで時間を潰すくらいなら、給料も払えるからと、彼を説得した結果であった。  将彦は昼間、写真展で働き、夜は居酒屋で歌った。居酒屋では、リクエストを受けなくても、彼の持ち歌だけでお客さんは満足してくれた。  写真展には時々千鶴がやって来た。そしてじっくりと写真を見た後で、将彦と話すようになっていた。  千鶴は将彦にたくさんのことを話した。本当は写真をやりたいと思っていたことも話した。  将彦は何もアドバイスできなかったが、ただ千鶴の話すことを黙って聞いていた。彼自身が母親に話をさえぎられたり、話の内容を否定されたりして傷き、その経験がそうさせていた。  六月の中旬、写真展に東がやってきた。  「やあ、頑張ってるみたいだね、将彦くん」  東は相変わらずのスーツ姿だったが、この日はサングラスを掛けていた。  「暁子さんを呼んできますね」  智代はそそくさと受付から離れ暁子を呼びに行った。ちょうど人も切れたところだったので、受付はのんびりとしたものだった。  「ところでそろそろ、歌の甲子園の一次選考が終わった頃だけど、連絡は来たのかい?」  「いえ。まだ祖父のところには連絡が行っていないようです」  「そうか・・・デモは会心の出来だったから問題ないと思うよ。ところで、千鶴はよく写真展に来るのかな?」  将彦は、少し東の声が低くなったような気がした。  「はい。けっこう来ていますよ。暁子さんの大ファンだと言っていたので、本当に大好きなんだと思います」  「なるほど。君は、千鶴と話したりするの?」  「・・・いいえ。挨拶はしてくれますが、ずっと写真を見てる感じです」  将彦は嘘を付いた。恋愛経験の薄い将彦も、さすがに千鶴とよく話していることを、東に素直に言うべきではないと思ったからだ。  「そっか・・・変なことを聞いてすまないね。僕は彼女にベタ惚れなんだ。だから変な虫が付くと困ると思ったんだよね」  東がとても爽やかに明るく言い放ったので将彦も笑顔で対応したが、東の言葉のあからさまな冷たさが後からじわじわと彼の心を凍りつかせた。
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