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煙草を吸い終わると、
芳野は人が一人通れるかどうかという通路の向かい側に寄りかかってたわいのない話を始めた。
このような近距離で話をするなど、菜波には思考が追いつかない。
つい、居住まいを正してしまう。
カップを持つ手が汗ばむのを意識しないように務め、
途切れた沈黙になぜか居心地が悪くて視線を彷徨わせる。
髪をかきあげるのが戸惑った時の癖だとわかっていながら、
もう何度髪に手をやったかわからない。
「須崎さんがさ…」
言いながら芳野が手を持ち上げた途端、菜波の体はびくんと痙攣していた。
カップの中のコーヒーがたぷんと音を立てた。
菜波の頬は熱を帯び、とっさに顔を伏せる。
つられて芳野の体も強張った。手が宙を舞ったかと思うと、
自分の体へと不自然に戻る。
「おい…どした?」
「あ、いえ、何でも、ないです」
その言葉にかぶさって頬が熱くなる。
菜波は自分が何を考えたのかと恥ずかしくなった。
芳野の指が自分に触れるかと思ったのだ。
「須崎さんが、どうしたんです?」
芳野はそれには応えず、じっと菜波を見つめていた。
一拍置いてから、その手を音もなく伸ばして菜波のすぐ横に置く。
芳野の体温と香りが、菜波を包み込むように覆いかぶさった。
駄目だ。
ぎゅっと目を瞑り息を止める。
心臓がうるさい、
息が頬にかかる、
体が…いうことをきかない。
菜波は後ずさろうとしたがそれ以上後ろには行けない。
いつだって間に受けるのは自分ばかりだとわかっているのに。
これ以上、芳野の遊びには付き合いきれない、
付き合いたくない。
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