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菜波はカップを持ったままの腕を伸ばして芳野の体を押しやる。
「…ほら、何やってるんですか?とっとと終わらせて…
早く帰らないと」
その手をぐいと掴まれて、菜波は小さく声を上げた。
目を見開いた先に芳野の顔があった。
「まだ…俺のこと好きだろ?」
菜波は「誰が」と大声で叫びそうになったが、
目の前にある芳野の顔に言葉が出なくなってしまう。
確かに好きだった。
好きで好きで、側にいることすらしんどかったのだ。
掴まれた腕に食い込む熱…。
その薬指にはなにもない。
だが、見えない鎖の存在を菜波に教えたのは須崎だった。
「同年で、同い年の子供がいる」
その言葉を聞いた時、菜波は自分がどんな顔をしていたのかもわからない。
ただ、喋ることも出来ずに笑って誤魔化した。
本人は言ってくれなかった一言。
それを確認しようとは、思う間もなく周りから告げられる事実達。
皆が、菜波の気持ちを知っていたのだ。それほど、菜波は芳野のことを見ていた…。
そう、過去形だ。
今はそんなことはないと、自分に言い聞かせる。
どうしようもなく子供っぽいところも、よく笑う姿も、いざという時頼りになるズルさも…みんなみんな見ない振りををしてきた。
今、手を伸ばせば届くところに芳野はいる。
「芳野さんなんか…好きじゃない」
言葉と共に、唇が震えた。
熱い息がかかる。
「…本当のこと、教えて?」
囁く声が、脳髄に響く。
近い顔、もう目しか見えないのにそこに揺れるのは欲望を含んだ男の色。
初めて見るその色がくらりと菜波を溺れさせる。
たくみな言葉で菜波を追い詰めてしまう。
芳野が体重をかけると、菜波との体の隙間がなくなり、熱い温度が直に伝わってくる。
射るような瞳。
顎を引いて、声の出ない菜波の額に芳野の額が当たった。
そのまま上を向かされてしまう。
「言って…」
無理だ。熱い吐息が唇にかかる。
心臓が…破裂、する。
「俺のこと…好きだろ」
持ったカップが、菜波の手から離れた。
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