かかる制限

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通常業務でも、残業せずに帰れることはごくわずかだ。 菜波の力量も知れた事ながら、なぜかやることは次から次へと後をたたない。 そんな中で訪れた久々のラッキーデイ。今日は早く帰れるはずだったのに、 凡ミスで終わりの見えない残業デイへと変わってしまった。 一人、二人と人が減ってフロアの人口密度が1を切った頃だろうか。 いつも最後まで残っている須崎が、スーツの上着を椅子の背にかけたまま立ち上がる気配がした。 菜波はそれをすがる目付きで追う。 視線に気付き、須崎は菜波を振り返ると、怪訝な顔で細い眼鏡を指で持ち上げた。 須崎は菜波の直属の上司であるため、まだ残っている菜波を不穏に思ったようだ。 「なんだ?お前まだ終わらないのか?昼にあんな余裕かましてイビキかいてるから、 定時であがったと思ってたよ」 菜波は顔を赤くして 「違います」 と小さく断りを入れた。 昼間、休憩中に机で居眠りをしていたのがばれていたらしい。 須崎は無造作にネクタイを緩めながら、菜波の机に寄りかかると画面を覗き込んだ。 「あれ?これ、まだ終わってないの?」 痛いところをつかれ、ごにょごにょと口ごもる。 呆れたようなため息が一つ頭上で聞こえて、菜波はさらに縮こまってその圧力を受け止めた。 下を向いていると、机に置かれた須崎の手が目に入る。 ゴツゴツした長い指。 その指で時折眼鏡を持ち上げる。 薬指にはどこかと対になっている銀色の指輪が鈍く光っっていた。 結婚して、子供がいる。 不意に息苦しくなり、菜波は視線をそらせて自分の手をぎゅっと握った。 須崎のYシャツの下にはとても男性とは思えぬ細い体の線が浮かんでいる。 良く食べるのにどうしてこんな細い体しているんだろう。 須崎がキーボードを打ち込んでいるのを黙って横から眺める。 「おい」 「あ、はい」 不意に声をかけられて反射的に顔を上げた。 「辞めとけ…わかってるな」 胸がどくりと鳴って、心臓を掴まれたような苦しさが全身にじわじわと浸透してゆく。 無言で、わずかに頷くのが精一杯だった。 その時、カチリと鍵の開く音がして長い髪を一つに束ねた男が顔を覗かせた。
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