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 榎並くんと知りあったのは8年前。ちょうど桜の花が散り落ちる頃だった。 「“えなみ、まなぶ”さん。アルバイトの経験は無し。えっと、土日は両方OKね。時間帯は……21時から? 夕方から入れませんか?」 「夜間の専門学校に通いたいので無理です」 「……あれ、大学生よね?」 「大学とは別に覚えたいものがありまして。その学費が欲しいんです。すみません」 「へえ。最近の学生さんには珍しいのね」  勤勉学生って言葉はこの子のためにあるって思った。大学の単位を1、2年生でほとんど取得し、後はゼミと外国語少々を残すのみと言っていた。大学では学べない宝飾品のデザインを学ぶのに夜間の専門学校に通う、そのための資金が欲しいと彼は説明した。 「……はい。あとは店長と相談して採用するか決めます。今日はお疲れさまでした」  都内の店で副店長をしていた私は、バイトの面接をしていた。彼はバイトも初めてで、ゴールデンウィークを目前に控えて即戦力が欲しかった私は正直ガッカリしたのだけれど、店長に相談したらそういう子の方が真面目に働くし伸びるからと言われ、採用した。そんなものかな?、と私は半信半疑だった。ちょっと不器用そうな男の子。男の子って言っても大学3年生だから20歳。  後日、採用連絡をして出勤してもらう。榎並くんは初日からやってくれた。ユニフォームを渡して更衣室に押し込んだが、なかなか出てこない。どうしたのか中を覗き込むと、彼は結べなくてネクタイをグルグルさせて格闘していた。仕方なく私はその狭い更衣室に押し入り、そばに寄ってネクタイを奪う。そしたら、それだけで真っ赤になって……。ちょっとからかってみようと思った私は、彼にあたかもキスするかのように背伸びをして、ネクタイを持ちながら彼の首に手を回した。わざと襟元に指を這わせてネクタイを結び、離れる。見事に彼は耳朶まで赤く染めた。あんまり可愛くて思わずクスッと笑ってしまい、それが聞こえたのか少し戸惑ったような顔をしていた。 .
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