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「…」
紗英はじっと携帯画面を眺めていた。白紙のメール作成画面。まだ、本文も宛先も手付かずだ。
一時間…、いや、あの男のアドレスを登録してからずっと、紗英は悩んでいた。
送るべきだろうか?……送った方が良いに決まっている。それは最低ラインのマナーだろう。半ば無理矢理とは言え、中学の同級生、悪い人でもない。しかし、内容はどうすれば…。
「普通に名前、でいいかな」
ぽつりと一人言が漏れた。人見知りの紗英はあまりこういうことに慣れていない。高校や大学に入学するときに、どうやって今の友人たちとアドレスを交換したかなんて覚えていない。しかも、自分のアドレス帳に入っている男性なんて、父親とバイト先の数人しかいなかった。もちろん、メールを頻繁にすることもない。
同級生の男子にメールをする。こんなことを真剣に悩む女子大生も少ないだろう。しかし、紗英はそんな数少ない一人なのだ。
「…………よし」
静かに、小さな(本人には大きな)決意の声が響いた。
紗英はまず本文に手をつけた。
「…」
中村紗英です。
これからよろしくね
何をよろしくなのかは自分でも良くわからない。ても、無難な文章だろう。友達とのメールでは最近絵文字はほとんど使わないが、なんだか素っ気ない気がして笑顔の絵文字をつけておいた。
「……うん」
これ以上はないほど普通の文章だ。これでいいだろう。
きっとこれ以上悩んだら、結局送れないような気がして紗英は急いで宛先を指定した。ハ行の一番上に、その名前はある。これでメールは完成だ。
「ええいっ」
変な気合いを入れて、紗英は送信ボタンを押した。画面をじっと見つめる。妙に鼓動が早くなっていた。
送信完了の文字に、一つため息を吐いて紗英はメールの画面を閉じた。
「…青春だねぇ」
「…」
「なんだよタカ」
「…別に」
「娘があんな顔してるのイヤなんだ?」
「…」
紗英を覗き見ていた美和と父親の貴史がこんな会話をしていたことを、もちろん紗英は知らない。
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