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美咲の唇が離れると、疲れた蝋燭は燃え尽きた。
和室の窓から月の光が射し込んで、一筋の細い煙は藍色に染まる。
「大丈夫、F熱が進展しても死ぬことはまず無いから」
「あのさ‥‥」
乱れ始めた僕の呼吸が、美しい煙の糸を揺らす。
ゴホッ
美咲がまた低い咳をした。
不快な響き。
「あのさ、アンプルって1つだけ?」
その問いに、美咲は素っ気なく背中を見せた。
細い背中。
「1つだけよ。当たり前じゃない、貴方にはもうワクチンなんて不必要な物なんだから」
僕は何かに合点した。
指の先から全ての力が抜けるようで物悲しい。
「少しだけワガママになるだけよ。食べて寝てを繰り返せば良いの」
こういう時、頭の中が白くなるとは本当のようだ。
そして成る程、月はやはり物分かりがいい。
透明な光が全ての音を消し、僕の心が後悔を始めることを止めてくれている。
ゴホッ
おそらく寝室へ行ったのだろう。
美咲の低い咳の音がまた、淡い月明かりをすり抜けて届いた。
完
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