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「僕からのお祝い金さ。ちょっと少ないけど、子供だから勘弁してくれるよね」
そう言いながら、信二はすました顔で、人形の髪を指で梳いている。
俊子は驚いた。いや、意外だったと言うべきかも知れない。
今までのことを考えると、どうしても信二の言葉は信じられない。あれだけ反対していたのに、何が信二を変えさせたのだろう。
「ちょっと待って」
と、俊子はためらいながら、「それって、結婚してもいい……ってこと?」
「そうだよ。ダメだなんて、最初っから言ってないじゃないか」
「だって……」
だって、あの「嫌いなおじさん」が、あなたのお父さんになるのよ。
と俊子は言いかけたが、口から言葉が出てこない。
人形の髪を整えた信二が、その頬をなでながら薄く笑っていたのである。
「――いつ?」
と、信二が訊いた。「夏休み中はやだよ。新婚旅行について行く気はないからね」
「うん。だからその前に――七月の最初の日曜日が大安なんだ」
「大安吉日? そう。そりゃめでたいね」
「だからさ、明日からゴールデンウィークじゃない」
と言って、俊子は信二の手から人形を取り上げた。「ね、どこか旅行でもしようか。あの人と三人で」
その瞬間、信二の顔から笑みが消えた。
俊子は気づいていただろうか。笑みが消えたのがその言葉が発せられた時ではなく、人形を奪い取った時からだったということを……。
「あのおじさんと?」
「いいじゃない。信ちゃんのお父さんになるんだから、よく話をしとかないと――」
と言い終らない内に、信二は人形を奪い返していた。
そして、乱れた人形の髪を整えながら、
「旅行か……。いいよ、僕もゆっくり考えたかったから」
と言った。そして、「いいチャンスかもしれないしね」
再び笑みをたたえて、信二は言った。
俊子はためらった。信二の最後の言葉が、自分に対してではないと分かったからだ。
信二は人形と話しをしている。
誰も喋ってはいないのに、信二が肯くように首を振っている姿を見て、俊子は背中に走る冷たいものを感じていたのだった……。
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