PM11:00

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PM11:00

『幸運を祈る』彼の最期の台詞を胸に、僕は電車に乗ってあのビルを目指す。  銀色の長針は最期の一周を刻み出した。  電車の中でただ待つ事しか出来ない僕はその腕時計の刻々とした動きにどうしようもないもどかしさを覚えた。  はたして本当にあの人に逢えるのか、今は不安で仕方がない。  気を紛らわす為に席に座り、電車のガタンゴトンのリズムに乗ってギターを弾いた。  ビルの最寄り駅に着き、時計を見ると残り三十分を切っていた。  もう時間がない、僕はギターを駅の構内のベンチに立て掛けて全力疾走、ビルへと、その距離を驚きの速さで埋めていく。  今の僕は確かに風になっていて、もしかしたら短距離走の世界記録を塗り替えていたかもしれない。  そんな事を考えている間にもうビルの麓に辿り着いていた。  時計を見るともう後十五分しかない、僕は大慌てでエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押した。  もし動かなかったらどうしようかと心配になったが、それはまもなく杞憂になった。  エレベーターは重力に逆らって上へ上へと昇っていく。  のんびりエレベーターの静止を待っていると、突然今までの記憶が走馬灯の如く次から次にフラッシュバックした。  幼稚園で泣いている僕、小学校で怒鳴っている僕、中学校で作り笑いを浮かべる僕、高校で無表情の僕、あの人と出逢った僕、初めて心から笑えた僕…。  エレベーターが止まり、ドアが開いた。  最上階の更に上に続く階段のその先に屋上がある。  その手前の扉の前でもう一度時計を見ると、後五分。  僕はその左手でドアノブを掴んで回した。  屋上の中心は高台になっていて、そこに登れば都会を三百六十五度見渡す事が出来る。  そこに大切な人は立っていた。  その目の前に僕も立つ。  そして、それはあまりに唐突であった。 「結婚しよう」  それが彼女の第一声だった。  互いに言いたい事は沢山ある筈なのに、僕らにそれ以上の言葉はあと一つで充分だった。 「いいよ」  僕がその最期の言葉を告げ、そして強く抱き合った。  今の僕は歴史的観点から見ても世界で一番幸せだと言える自信がある。  大切な人の温もりを感じながら最期の瞬間を迎えられるなんて、これ以上の幸福がこの世界に存在していようか?
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