F熱

2/10
前へ
/58ページ
次へ
  ──月は物分かりが良い。藍色の弱い光で、黙って僕を照らしてくれるから─── 「煙草、部屋で吸って良いんだよ。私、そういうの気にしないから」 僕は、4階のベランダの手摺に右肘をついて、煙草を吸っている。 白々しく、月明かりが溜まっている場所。 高級ベッドの訪問販売を始めてから、家族親戚はもとより、古い友人の多くに迷惑を掛けた。 営業成績を追い求めた挙げ句、僕は今日、この気まずい場所へ、のうのうと転がり込んだ。 鉄面皮。 「救われた‥…か?」 風通しの良い場所。 煙草の灰が、風に飛ばされる。 灰が飛ばされた先、高速道路の高架の上には、赤いテールランプの帯が視界の果てまで延々と続いている。 道路の渋滞は、去年の暮れから長さを増してきた。 電車もバスも時刻表の存在を忘れて、尚且つ、動いてみたり止まったりしている。 「翔くん、口座番号間違えちゃった」 民間機が飛ぶ事を止めた空では、月だけがポカリと輝いている。 「2本線を引いてハンコを押してもらえる?」 網戸越しにそう答え、僕はコーヒーの空き缶に煙草を捨てて、寒い場所と暖かい場所を区切るカーテンをくぐった。 無理に履いた、女物のサンダルは脱ぎづらい。  
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加