【第一章】それでも僕はやってない!

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 被疑者は、真夏に輪をかけて気の弱そうな、二十代そこそこのサラリーマン風の男だった。取り調べ室の椅子が大きく見えるほど小さくなって腰掛け、今にも泣きそうだ。これ以上委縮させないようにだろう、日野の声はいつになく優しかったが、それでも声を掛けた途端に両目に涙が盛り上がった。 「本当にあの人がやったんでしょうかね。とてもそんな風に見えませんでしたが……、なんだか気の毒でしたよ」 「んー、まあでも痴漢なんて気の弱い奴がやるもんだろ」  相変わらず間延びした日野の声を聞きながら、真夏はもう一度取り調べを振りかえっていた。被疑者の名は須々木誠一。二十二歳、入社したての新卒サラリーマンだ。恋人もいて、仕事に慣れたら結婚すると約束している。それを涙ながらに語った後、最後に彼は一言、こう言ったのだ。 「それでも僕はやってない……か」 「そんな映画あったよなー。あれ、結局有罪だったっけ?」  あくまで雑談のノリを続ける日野に、真夏はため息をつく。  被疑者にいちいち同情していては仕事にならないのは分かっているが、須々木の家族や婚約者を思うとやはり気の毒だった。 「ま、これでこのところの連続痴漢事件も解決だ。帰りに大将ンとこで一杯やって行こうぜ」  ぽん、と肩を叩かれる。  励ましてくれているのはわかったが、とてもそんな気分にはなれなかった。
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