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『尼子家再興を…』
『この願いを聞き届けてくれまするならば…』
『我は七難八苦の険しき道をも受けましょう…』
三日月に向けて手を合わせ祈る…。
その偉丈夫…。
名を山中鹿之介幸盛といい、山陰に覇を唱えた尼子氏の重臣…。
『瓦全の道』を貫く忠臣である。
鹿之介は今、人生最大ともいえる苦難の渦中にある…。
尼子氏滅亡の序章は永禄3年(1560)、尼子晴久の病没に伴い、嫡男義久が尼子家の家督を相続した。
この時、中国地方においての覇権は、尼子氏から厳島の戦いで陶晴賢を敗った、安芸に本拠を構える毛利元就に移っていた。
その毛利元就率いる毛利軍に、尼子義久の本拠の月山富田城が包囲され、尼子氏に仕える鹿之介も月山富田城に籠城した。
鹿之介この時16歳、血気盛んな若者である、毛利軍との戦いにおいて、豪傑でなる品川大膳と戦い、見事に討ち取り、その名を敵味方に鳴り響かせた。
しかし、鹿之介1人の力で劣勢を覆す事はできず、永禄9年(1566)11月、尼子義久は毛利元就に降伏、城を明け渡し、これにより尼子氏は滅亡した。
この日より鹿之介の尼子氏再興の『瓦全の道』が始まる。
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