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** 雪 **・
『帰ってきてくれないか?』
短大を卒業し、家を離れ一人暮らしを満喫している私に、父が電話口で小さく呟く。
『母さんが、雪音じゃないと…嫌だって言うんだ…』
母は三ヶ月前に倒れ、手術は成功したが左半身に麻痺が残ってしまい、思うように動けなくなった。
病院は退院したものの、来てくれていたヘルパーさんが気に入らないのか、よりによって私を指名するなんて…
「義姉さんだってそばにいるのに…」
『お前がいいって…お願いだから帰ってきてくれ』
私は母が苦手だ。
何でも完璧にこなし、茶道と華道を家で教え、美人で頭もよく…私とはまるっきり正反対…
母は、幼い頃より私に礼儀作法を含めあらゆる面で厳しかった。
どれも私の為にとわかっているつもりでいたが、当時の私には息が詰まることばかり…
ついには逃げ出したくて、わざと都会へ就職を口実に家を出た。
やっと解放され、同僚や友人と遊び回り、同じ会社の2歳年上の男性と恋をし、もう一年以上付き合っている。
「お父さん。少し…考えさせてよ… 」
私はそう言って電話を切った。
母を看る…
どうしても、素直に『うん』と言えない。
私は付き合っている彼に電話をした。
「…それでね…。お父さんが帰ってきてくれって…」
私は内心期待していた。
どこかに『帰るな』と言ってくれることを…。
そして『結婚しよう』と言ってくれることを…。
『そうか。なら仕方ないな。俺たちも…別れよう』
「えっ…そん…な…」
『だってそうだろ?それに、遠距離恋愛とか、俺には無理だし…おまえも、その方が後腐れなくていいだろ?引越しくらいは手伝ってやるよ』
「は…ははは…そ…だね…はははは…」
恋なんて…こんな薄っぺらいものだったのか…
結局私は、振り切るように仕事を辞め、実家へと帰った。
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