輪中

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 「輪中」という言葉がある。  元々は、川の氾濫による水害に頭を抱える、とある集落がとった対策の事である。防波堤で囲った地域の中に民家や商業施設を建てて暮らすというライフスタイルらしい。  僕の祖父は、この街に住む人間達を「輪中の蛙(かわず)」と呼んだ。  「達」の中に僕や祖父自身も含まれるのかは知らないが、とにかく祖父は、街を囲うように円周形にそびえ立つ高い壁にラッカースプレーで落書きを描いて騒ぐ青年を見る度に、決まり悪そうにそう言った。 「井戸の中のカエルは一人で生きてきた。だから、知らなかった大海に踏み出しても生き抜く力があった。しかし、大人数で水槽に飼われ続けた輪中のカエルには、その力がないんだ」  その時はまだ小さかった僕はこの言葉の意味を理解できなかった。ただ、一つ言えた事は、「カエルって、どこにいるの?」と祖父に訊ねたら、とても悲しい目で返された記憶だけが鮮明に残っている事だけだ。  そして、「そうか、この街にはもうカエルも生きていないのか」と寂しそうに呟いたのも覚えている。
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