① 白銀色に煌めく鋒

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今日も平和な日本のニュース番組からいよいよUターンラッシュの話題が消え、輝かしい小学校デビューについての特集が放映されていた。 キャッキャウフフと騒ぐ幼い子供達。こうしたものを見ると、やはり春休みは終わってしまったのかと改めて感慨にふけってしまう。 今年もまた新年度が始まったのだ。 初々しさとハラハラとドキドキと、とにかく楽しさと不安が日本中を交錯している。 きっと、この私立式咲魔法高等学校にも沢山の入学生がやって来たのだろう。前年度を参考にするなら200人前後の人数になる。 いつ迎えても嫌な時期だ。 「周囲環境が変わったから自分も変わった」と勘違いした愚かな学生たちが現実の掌で踊らされ、そしてはたき落とされる姿を容易に想像できる。 例えば、モテない男の彼女願望。 例えば、自分の変革願望。 例えば、夢。 ある意味、これは一種のチュートリアルと取れるかもしれない。リアルと直接触れあう体験を学生にさせることで、その後の自分の全てにおける指標を指し示す。 もはや定番のパターン。去年も一昨年もみんな同じ。何より俺も味わった。 それを機転に上手く立ち回ることができた者こそが、人生の勝ち組の称号を冠するに値する人物であると俺は考える。 でも、それは世間の理想態だ。 そうなりたい人は現実にウジャウジャ実在しているが、その本質的な人口は限りなく少ない。 宝石と一緒だ。誰もがダイヤモンドの原石だとしても、見事な加工を施さなければ価値は見出だせない。 そして、高価な本物のダイヤモンドというのは希少だ。少数派だ。マイノリティだ。 その二点を考慮すると、絶対数が少なければ少ないほどそれに比例して、人間の価値は上がっていくということになるのではないか。 結論を言おう。 ぼっちは最強。異論は認めん。
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